太古より、四方を海に囲まれた
日本では魚食文化が栄え、とりわけ刺身や寿司といった“生”で食する機会が多いため、
世界でもトップクラスの“鮮度”が要求されてきました。
われわれ淡路島の産地出荷業者は、京阪神という大消費地を近くに控え、交通手段の発達以前から、その立地条件の良さと、四方を囲む恵まれた海産物資源のおかげで平安以前の古くより“御食国(みけつくに)”として栄えてきました。
しかし1972(昭和47)年6月に状況が一変しました。兵庫県高砂市沖で高濃度のPCB(ポリ塩化ビフェニール)が検出され、魚介類への汚染が確認されました。幸いなことに淡路島近海の魚への感染は確認されなかったものの、魚価は大暴落し、買い手がつかなくなりました。
1974(昭和49)年12月には岡山県水島での重油流出事故により、瀬戸内海の3分の1が汚染されるなど、高度成長時代のツケが次々とまわってきました。
この非常事態に漁師も一致団結し、県や企業への抗議、補償交渉を重ねました。そして仲買業者も一致団結すべく、1974(昭和49)年11月29日、淡路島内50業者有志により、全淡鮮魚仲買人組合(昭和57年に全淡鮮魚仲買協同組合に名義変更)が設立されました。
組合設立以来、以前にも増しての仲買業者同士の意見交換、情報交換による産地の活性化、また出荷事業に伴う魚函や包装資材の共同購入による出荷コストの軽減など、組合員、ひいては淡路島全体の水産業関係者の経済的地位向上に寄与しています。